パウロは、どのようなものからも「キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」と教えました。
38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。引用:新約聖書(口語訳)ローマ人への手紙8:38-39
トーマス・S・モンソン大管長は、私たちがどのようであれ、「神の愛は……皆さんのために存在」し、私たちは「決して独りで歩いているのではない」と教えました。
天の御父は皆さんを,皆さん一人一人を愛しておられます。その愛は不変です。その愛は,皆さんの外見や持ち物,あるいは銀行口座にある金額に左右されるようなものではありません。皆さんの才能や能力でも変わりません。その愛はただそこにあるのです。皆さんが悲しんでいるとき,喜んでいるとき,落胆しているとき,希望に満ちているとき,皆さんのために存在しています。神の愛は,皆さんがその愛にふさわしいと感じているかどうかにかかわらず,皆さんのために存在しています。いつもそこに存在しているのです。切実な真心からの祈りによって,そして真剣で熱心な聖文の研究によって天の御父を求めるとき,証は強められ,深く根付きます。神がわたしたちを愛してくださっていることが分かり,決して独りで歩いているのではないことを理解します。わたしは皆さんに約束します。つらかった日々を振り返る時がいつか来ます。そのとき皆さんは,天の御父がいつもそばにいてくださったことを知るのです。引用:
私は精神的病気のため、幸福、喜び、平安を感じにくく、つらいことが多いです。
一日、一週間、一カ月間、季節ごと、年間を通して気分に波があり、多少楽だと感じるときもあれば、死にたいと思うこともあります。
つらい時、神の愛や御霊を感じるのは難しくなります。
そのような時、力を振りしぼって天父に祈り、信仰をもって聖文や預言者の言葉を学び、その教えに従おうと努めます。
神の愛が私にもたらされているということを知識として知るだけでなく、それらの言葉を信じるよう努めます。
主を愛し、隣人を愛するために、できる限りのことを行います。
やがて、イエス・キリストの愛と慰めと平安を感じる力が戻り始め、もう少し頑張ってみよう、最後まで堪え忍べるよう頑張ってみよう、という生きる力が主と御霊からもたらされます。
イエス・キリストの愛は、私たちが感じられる時もそうでない時もいつも存在し、私たちと共にあります。
誰にでも、他人には理解されない困難、試練、誘惑があると思います。
たとえそれがどのようなものであったとしても、キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません。
主を信じ、主につながろうと最善を尽くすとき、私たちがどのような状態であっても主の愛を感じ、前進する力が与えられます。
主は壊れたものを直し、傷ついた者を癒され、失われた者を抱きかかえてきてくださると心から証します。
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