クリスマスの時季、私たちクリスチャンはイエス・キリストの誕生を祝い、それがなぜ素晴らしいことなのかを考えます。
そして、イエス・キリストの無限の愛と光、模範を思い、主にならって隣人に愛を示し、助けを必要としている方々に仕えます。
また、主をこの地上に送ってくださった神であられる天父にも心を向け、その愛に感謝します。
ディーター・F・ウークトドルフ長老(当時、大管長会第二顧問)は、天父の愛について次のように教えています。
皆さんが想像できるかぎり最高に清く,すべてを包む愛について考えてみてください。では,その愛を無限に広げてください。それが,皆さんに対する神の限りない愛です。(旧約聖書 口語訳 イザヤ54:10;エレミヤ31:3参照)神は人の外見を見てはおられません。(旧約聖書 口語訳 サムエル上16:7参照)住まいが城か小屋か,容姿が美しいかどうか,有名か無名か,そういうことは一切気にしておられません。わたしたちは不完全ですが,神はわたしたちを完全に愛しておられます。道に迷い,行き先が分からなくなったとしても,神の愛によって完全に包まれるのです。神は神聖で清く,筆舌に尽くし難い無限の愛であふれているので,わたしたちを愛してくださいます。神にとってわたしたちが大切なのは,わたしたちが優れた経歴を持っているからではなく,わたしたちが神の子供だからです。神は,わたしたち一人一人を愛しておられます。弱い者,拒絶された者,不器用な者,悲しむ者,挫折した者であっても,御自分の子供たちを皆,愛しておられます。神の愛は非常に大きいので,高慢な者,利己的な者,横柄な者,邪悪な者でさえ愛しておられるのです。つまり,現在どのような状態であっても,わたしたちには希望があります。どのような苦難や悲しみに遭遇しても,どのような間違いを犯しても,無限の哀れみに満ちた天の御父は,わたしたちが御自身に近づくことによって,御父がわたしたちに近づけるよう願っておられます。(教義と聖約88:63参照)引用:
私の家族は仏教徒でした。
私は小さい頃から家にある仏壇に手を合わせるたび、実の両親以外に本当の両親がいると感じていました。
それが誰なのかはずっと分かりませんでしたが、彼らによって守られているといつも感じていました。
大人になり、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師から福音を学び始めたとき、神様は天父であると教えられました。
それを聞いたとき、「私が本当の両親だと感じていたのは、天父と天母だったんだ」と理解しました。
天の両親は私のことを愛し、私が教会に改宗するずっと前から見守り、導いてくださっていました。
ウークトドルフ長老が話されているように、私たちがどのような状態であろうと、私たちには希望があります。
天父の愛を信じて近づこうとするならば、天父は私たちに近づいてくださいます。
そのために、天父は福音を用意し、御子イエス・キリストをこの地上に送られました。
御子は馬小屋で生まれ、飼葉おけに寝かされました。
天父は、私たちがみもとに戻り、再びお会いするのを心から待ち望んでおられます。
救い主イエス・キリストは、私たちの幸福と救いのために、無限の愛をもって私たちを支え、天父のみもとへ帰る道をともに歩いてくださると証します。
このクリスマスの時季にあって、天父と御子の愛をともに感じられますように。