大管長会第二顧問だったディーター・F・ウークトドルフ長老(十二使徒定員会)は、次のように教えました。
天の御父の祝福と賜物を受けるために,わたしたちは完全でなくてもよいのです。これを知ることは,すばらしいことです。神の祝福を受けるためにわたしたちが完全になるまで待つ必要はありません。実際,わたしたちが光に向かって最初の一歩を歩み始めたときから,天が開き始め,天からの祝福が降ってわたしたちの心に滴り始めるのです。引用:
私は、末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗してから何年もの間、イエス・キリストと福音に対して理解が不十分でした。
主は、愛、思いやり、憐れみ、赦しの御方というよりも、厳しすぎる正義の御方として強く感じていました。
完全に福音に従わないと主から祝福されない、救われない、罪が赦されない、人を怒らせ、迷惑をかけてはいけない、決して失敗してはいけないと誤解し、不安や恐れをだんだんと強めていきました。
失敗や間違った自分を責め続け、もっと頑張らなければ、もっと完全にしなければ、と自分を追い込み続けました。
主を信じながら、無理して努力を続ければ、何とか物事が良い方向に進むと勘違いしていました。
当時の私は、もっともっと自分の力で何とかしなければと思い、イエス・キリストやその贖罪の力、主を信じ、頼る信仰を真に理解できていませんでした。
毎日、とにかく主と人から赦されたいと悔い改めを続けていましたが、やがて福音に喜びを感じられなくなり、心が限界を超えて壊れ、うつ病になりました。
イエス・キリストはそのような私を見捨てることはなさらず、人生と福音の道を一歩ずつ、ゆっくりと前に進む私の側で、見守り続けてくださいました。
主は、人々を天使とし、たくさんの愛と助けを授けるために、私のもとへつかわしてくださいました。
さらに祈り、聖文や預言者の言葉を研究することにより、主と、主の贖いと、弱さを強さに変えてくださる恵みの力、福音、主の慈愛と信仰に対する理解を少しずつ深めるようになりました。
理解が増すにつれ、福音に従うことは難しいという思い違いから解放されて楽になり、福音を喜びと感じるようになりました。
天父と御子は、私の不完全さや弱さをすべて御存じのうえで、なんとか私を強めたい、罪を赦したい、祝福したい、救いたいと願われていることを知りました。
そのために、救いの計画を用意して贖罪を行われ、それに従うよう愛を持って招いてくださっています。
主の愛を信じながらイエス・キリストを中心とした生活を送ることこそが、幸福の道であると分かるようになりました。
ウークトドルフ長老は、続けて次のように教えています。
出発するための完璧な場所は,あなたが今立っている地点です。自分がどれほどふさわしくないと感じているか,あるいはほかの人よりもどれほど遅れをとっていると感じているかは問題ではありません。天の御父を求め始める瞬間に,御父の光に託す望みがあなたの霊を目覚めさせ,元気づけ,高めるのです。闇は直ちに消え去らないかもしれませんが,夜が夜明けに道を譲るように,確かに光はやって来ます。引用:
天父のみもとへ帰る道を歩み始めることも、歩み続けることも、主と教会から離れていて再び歩み始めることも簡単ではないことを知っています。
同時に、私たちが祝福を得るために、完全な歩みである必要はなく、主を信じるならば主の贖いと恵みの力により、今この瞬間から歩み始め、つまずいても何度でもやり直せることを知っています。
「天の御父の祝福と賜物を受けるために,わたしたちは完全でなくてもよい」と主が愛を持って教えてくださっていることに感謝し、その教えが真実であると心から証します。
主の愛は無限であり、全宇宙を貫き、私たちから決して離れず、いつもともにあることを証します。
