デール・G・レンランド長老(十二使徒定員会)は、トーマス・S・モンソン大管長の言葉を引用して教えました。
トーマス・S・モンソン大管長は次のように教えています。「神の最大の賜物の一つは,もう一度やってみることの喜びです。失敗をしたらもうそれで終わりということではないのです。」[1]正しくないという自覚がありながら故意に罪を犯したり,失敗や失望に繰り返し直面したりしていたとしても,もう一度やってみようと決意したその瞬間に,キリストの贖いの力が助けてくれるのです。こんなところまで来てしまったのだからもう諦めたほうがいいと告げるのは聖霊ではないことを覚えておく必要があります。◇脚注[1]トーマス・S・モンソン「秘められた思い」『聖徒の道』1987年7月号,74引用:
今までの人生の中で、何度も失敗し、罪を犯し、「イエス・キリストに従うのも、悔い改めるのも無駄だ、諦めたほうが良い」という聖霊からではない声、すなわちサタンの声を聞き続けてきました。
聞かないようにあらゆる努力をしても、その声は、時には耳元で静かにささやき、時には嵐のように強く叫んで、私を滅ぼすために誘惑してきます。
そのような声に抵抗するのに疲れ果ててしまい、「もうだめだ」と諦めたこともあります。
その度に、「もう一度やってみようと決意したその瞬間に,キリストの贖いの力が助けてくれる」という、心の語りかける聖霊の静かで細い声に耳を傾け、信仰を振りしぼって主のもとへ行くよう努力してきました。
すなわち、主が望む事柄の中で、そのときの私にできる小さな選びをしてきました。
愛の深い主は、そのような私を忍耐し、導かれています。
何度でも、失敗します。
しかし、キリストの贖いと恵みの力、憐れみのおかげで、その度にやり直すことができ、主の愛と喜びを感じ、主の御心のままに助けと祝福を受けられていることに感謝します。
イエス・キリストは生きておられ、いつも共にいてくださっています。
私たち一人ひとりを救うため、支え働いてくださっています。
主が、私たちの救いを諦めることはあり得ません。
イエス・キリストは、聖霊による小さな細い声で「神の最大の賜物の一つは,もう一度やってみることの喜びです。失敗をしたらもうそれで終わりということではないのです」と教えてくださっています。
主を信頼して何度でも来るよう、主は、私たち一人ひとりを招かれています。
その招きが、主の愛であると証します。
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