エバン・A・シュムツ長老(七十人)は、ある家族の話を紹介しました。
その家族は、この世の試練、困難、逆境の中、イエス・キリストの教義を信頼して従いました。
そのような人々に対して主は、苦難を聖別して私たちの益とし、救われると約束されています。
イエスとその教義から,わたしたちは強さを得ます。主はこのように語られました。「まことに,まことに,あなたがたに言う。これがわたしの教義である。この教義の上に建てる者はわたしの岩の上に建てるのである。地獄の門もこれらの者に打ち勝つことはない。」(3ニーファイ11:39)この約束は,忠実な人々の人生において成就しています。わたしがトラビスとケイシーに出会う幸運に恵まれたのは,一年余り前のことです。二人は2007年に市民結婚をしていました。当時,トラビスは教会の会員ではなかったのです。ケイシーは活発な末日聖徒の家庭で育ちましたが,10代のころに信仰から離れ,その土台からさまよい出てしまいました。2018年,トラビスは宣教師に出会い,2019年にバプテスマを受けます。その後,トラビスはケイシーにとっての宣教師となり,ケイシーもまた人生を一変させるような改心を経験しました。そうして2020年9月,二人は神殿で結び固められたのです。バプテスマを受けてから約2年後,トラビスはビショップリックで奉仕するよう召されました。トラビスには,内臓に腫瘍の塊が絶えず形成されてしまう希少疾患があります。繰り返し生じる腫瘍を摘出するために,これまで何度も手術を受けてきました。しかし,これは不治の病であり,トラビスは数年前に,余命10年足らずと宣告されていたのです。一方ケイシーには,不可逆的に視野が狭くなっていき,やがては完全な失明に至る,「網膜色素変性症」という珍しい遺伝性疾患があります。ケイシーは自分の将来について,わたしに語ってくれました。そう遠くはない未来に,夫を亡くし,視力を失い,経済的な支援を受けられない中,育ちざかりの4人の子供を独りで育てる時が来るだろうと,彼女は考えていました。どうしてそのような暗い未来を受け止めることができるのかと,わたしはケイシーに尋ねました。すると彼女は穏やかにほほえんで,こう答えました。「わたしの人生で,今ほど幸せと希望に満ちている時はありません。わたしたち二人は神殿で受けた約束を堅く守っているのですから。」トラビスは現在,ビショップとなっています。2か月前に,またもや大きな手術を受けたばかりです。それでも,彼は楽観的で穏やかです。ケイシーの視力は悪化しています。今や盲導犬を必要とし,車の運転もできません。それでも,彼女は子供たちを育て,若い女性会長会の顧問として奉仕しながら,満ち足りて暮らしています。トラビスとケイシーは,岩の上に家を建てています。トラビスとケイシーは,キリストの教義と,神が「苦難を聖別して〔彼らの〕益としてくださる」(2ニーファイ2:2)という約束を信頼しています。神の完全な計画において,キリストへの信仰を伴う苦難は,キリストによって完全になる道へと通じているのです。岩の上に家を建てた賢い人のたとえのように(3ニーファイ14:24-27参照),雨が降り,洪水が押し寄せ,風が吹き,トラビスとケイシーが建てた家に打ちつけても,家が倒れることはないでしょう。岩を土台としているからです。雨や洪水,風は,人生において生じる可能性があることではなく,むしろ嵐が起こるのは確実なことであると,イエスは語られました。このたとえにおいて変えられる部分は,嵐が来るか来ないかではなく,主の教えに耳を傾けて行うようにという,主の愛ある招きにどう応じるかなのです。生き延びる方法はほかにありません。キリストとの聖約の関係という土台の上に家を建てるとき,わたしたちはキリストの教義を信頼しているのであり,主のもとに向かうなら,永遠の命という主の約束を受けるのです。キリストの教義を信頼する人々は,キリストを確固として信じながら力強く進み,最後まで堪え忍びます。このほかに,天の王国における救いへと至る道はありません。引用:
私たちの誰もが、この世の試練、困難、逆境を確実に経験します。
つまずいたり、失敗したり、罪を犯します。
どんなに主に忠実であろうと努力しても、そして自分の行えることを力の限り行ったとしても、苦難や弱さを克服できないと感じて苦しむことがあります。
イエス・キリストの教義を信頼し、主を中心とした生活を心がけるよう努力し、たとえ自分が完璧でなくても、自分の望み通りにならなくても、主の方法と時期に救われることを信じて歩み続けるならば、この世の嵐の中でも主の岩の上に立ち続ける力がもたらされます。
イエス・キリストの言葉と、招きに聞き従う人を、主は必ず救ってくださいます。
そのために、主はすべてを投げ出され、救い主、贖い主となられました。
たとえこの世の嵐にもまれ 希望の失せしとき(賛美歌 #153「み恵み数えあげ」1番参照)であっても、キリストの贖いの無限の光が届かない深みなどあり得ない(ジェフリー・R・ホランド長老「ぶどう園の労働者たち」総大会2012年4月)ことを証します。