人生の中で、堪えきれないと感じるほどの試練、困難、逆境、誘惑などを経験するとき、イエス・キリストに対する信仰があったとしても、なぜこのことが起きるのかと考え、疑問に思うことがあるかもしれません。
自分のことだけでなく、愛する家族や隣人、戦争や地震などの自然災害で苦しんでいる人々の苦しみ、悲しみを知るとき、私はそのように考えるときがあります。
イエス・キリストの福音は、それに対する答えがあります。
5 また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
6 主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
7 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
8 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
9 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
10 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
12 それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
引用:
以前、D・トッド・クリストファーソン長老(十二使徒定員会)は、「すべてわたしの愛している者を,わたしはしかったり,懲らしめたりする」(総大会2011年4月)と話されました。
その話の中で、かつて十二使徒定員会の一員で大管長会の顧問を務めたヒュー・B・ブラウン管長の体験を紹介しました。
ブラウン管長は、「あなた(神)はわたしを愛したからこそ,わたしが傷ついても……」と話しています。
その話をまとめたアニメのビデオを紹介します。
スグリの木
(YouTube 3分02秒)
ミッシェル・D・クレーグ姉妹は、小説『ナルニア国ものがたり』の著者であるC・S・ルイスの言葉を引用して、神が私たちを作り変えるとき、ひどく痛みを感じる方法で行われることについて話しました。
C・S・ルイスは,作り変える力を次のように説明しました。「自分自身を1軒の家だと考えてください。神がその家を改築するために入って来られます。最初のうちは,神が何を行われているかを理解できるでしょう。神は排水管を直し,屋根の雨漏りを止めるなどされます。このような作業は行う必要があったものなので,あなたは驚くことはありません。しかし,やがて神は,ひどく痛みを感じる方法で家の改造を始められます。……あなたは,思っていたのとはかなり違う家を神がお建てになっていることに気がつきます。……自分は小さな小屋になるのかと思ったのでしょうが,神は,宮殿を建てておられるのです。神御自身がそこに住むおつもりなのです。」
引用:
「聖なる不満足感」
ミッシェル・D・クレーグ姉妹 中央若い女性会長会第一顧問
自分は十分に成長した、善いものとなったと思っても、スグリの木がさらなる成長のため刈り取られるように、あるいは小さな小屋が主と共に住む宮殿へと改造されるように、人生の中で何度も主の手が入り、それは耐え難い苦しみを伴います。
それによって私たちだけでなく、主も悲しまれ苦しみます。
私たちの将来なりえる姿を御存じのイエス・キリストは、愛と主の苦しみ(贖罪)を通して私たちの成長のために訓練を授けて下さっています。
イエス・キリストの福音には、この世の理解を超えた完全な教えがあります。
それらを理解し従うには、イエス・キリストに対する信仰が必要です。
小さなからし種のような信仰を持ちたいと希望を持って祈り、福音を学び、その教えに従うならば、やがて成長して喜びを感じられます。
私たちのために、イエス・キリストはこの地上に来られ、教え、愛を示し、奇跡を行われ、贖罪をされました。
主は、贖いと恵みの力を受けるようにと私たちを招かれています。
その招きが、私たちに対する愛であることに、心から感謝しています。
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