イエス・キリストは、私たちが主のように完全な者となるよう望まれています。
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
引用:
しかし、今、完全な者となるよう、あるいは自分の正しい行い、思い、努力だけでなるよう望まれてはいません。
ゲレット・W・ゴング長老は、完全(完璧)主義によって苦しんでいる人について話しています。
完全という言葉は,決して間違いを犯さないという意味であると誤解されることが時折あります。恐らく皆さんや皆さんが知っている人は,このような点で完全であろうと熱心に努めていることでしょう。しかし,このような完全にはいつまでも手が届かないように思われます。したがって,最善の努力を払っても,心配や落胆,疲労が残ることになります。自分の状況や周囲の人々をコントロールしようとしてもうまくいきません。自分の弱さと間違いについて思い悩みます。実際,一生懸命に努力すればするほど,求めている完全から遠いと感じるかもしれません。
……
完全であることの意味を誤解していると,完全主義になります。完全主義とは,善い人でありたいという称賛に値する望みを持ち,それを今完全でありたいという非現実的な期待に変える,態度や振る舞いです。完全主義は時折,完全である人々だけが愛されるにふさわしい,あるいは完全でない限り幸せに値しないという気持ちから生じるものです。完全主義は,不眠症,心配,引き延ばし,落胆,自己正当化,絶望の原因となることがあります。これらの気持ちは,平安や喜び,またわたしたちが持つように救い主が望んでおられる確信を締め出すことがあります。
引用:
ゲレット・W・ゴング長老
「キリストにあって完全になる」
『リアホナ』2014年7月号,42
完全主義は、喜び、幸せ、平安を感じにくくします。
手に届かない自分の完全な理想をいつも追い求め、満足することが難しくなります。
SNSの「いいね」が自分の価値観をあらわす評価と思い込むこと、自分の容姿が完全でなければ、あるいはもっと良くならなければと思い込むこともあります。
ほめられたい、価値ある者として認められたい、友達が多いと思われたい、幸せな人生を送っている人と思われたい、失敗したくない、誰にも嫌われたくない、怒られたくない、否定されたくない、迷惑をかけたくないなど、あまりにも強すぎる承認欲求や思いを持つようになることもあります。
その心の裏には、自分に対する自信がなくて極度のコンプレックスを持ち、完全に良い人でなければ誰も自分を愛してくれない、認めてくれないという強すぎる不安や恐れがあるのかもしれません。
承認欲求は誰もが持つ自然な思いで、それがあるからこそ向上心を持って努力し、成長がもたらされます。
適切な範囲で収まるならば、悪いものではありません。
芸術家や音楽家は、彼らにとっての完全な作品を目指して努力し、偉大なものを創造しています。
彼らは満足することなく、さらにもっと良いものを生み出そうと努力を続けます。
しかし、完全でなければならないという思いが強くなりすぎると、人からの良い評価や承認欲求を過度に求めるようになり、その思いが幸福感を減らす原因となるかもしれません。
人生の中でそれらを満たすのは簡単でなく、いつも人の評価に右往左往する人生となるかもしれません。
また、自分や人と比べてばかりいると、不正に裁くようになるかもしれません。
完全主義の傾向が強くなりすぎると、うつ病、拒食症など精神的な病気になってしまうこともあります。
神様に完全を求められていると誤解するだけでなく、人から完全となるよう、行うよう強く求められているというプレッシャーを感じることもあります。
しかし、完全主義者が一番完全を求められ、プレッシャーを感じるのは、いつも自分自身からです。
「もっと人よりも完全でなければ……、もっと良くならなければ……、言われたとおり完全にやらなければ……」という自分自身の心の声を常に聞き、不安があおられ、プレッシャーが強くなっていきます。
私もそうでした。
今も、克服できているとは言えませんが、自分自身がそうなる傾向のあることを認め、気をつけるよう取り組んでいます。
そのような完全主義を克服できるよう、あらゆることに取り組んでいます。
・マインドフルネス(瞑想などを通して、物事や自分をありのままに受け止めること、「今、この瞬間」を大切にすること)
・セルフコンパッション(他者を思いやるように、自分自身のことを大切に思うこと)
・レジリエンス(ストレスに対応する力、回復力)を強める
・認知療法、認知行動療法(ものの受け取り方や考え方に働きかけて気持ちや行動を変えていく療法)
など。
「認知療法」の教材の中に、次のように書かれていました。
「完全は誘惑です」。
多かれ少なかれ、誰もが完全や完璧に憧れるのかもしれません。
世の中やSNSの中には、容姿が完璧に思えるような人もいます。
性格が完璧に見える人もいます。
完璧な人生を送っているように見える人もいます。
彼らは自分と比べて素晴らしいかもしれません。
しかし、彼らも満足できていないかもしれません。
ゴング長老は、イエス・キリストの贖いの愛こそが完全主義を克服すると同じ記事の中で話しています。
惜しみなく与えられる救い主の贖いの愛を理解すれば,わたしたちは,完全とは何かということについて自らに課した,正しくない,非現実的な期待を抱かなくなります。この愛について理解していれば,自分は不完全であるという恐れ,すなわち,間違いを犯すという恐れや,力不足であるという恐れ,他の人以上に失敗するという恐れ,主の愛を受けるに値するほどのことを行っていないという恐れを抱くことがなくなります。惜しみなく与えられる救い主の贖いの愛は,わたしたちがもっと寛大になり,他の人々や自分自身を裁くことがもっと少なくなるのに役立ちます。この愛は人々との関係を修復し,また愛し,理解し,救い主が望まれるように仕える機会をわたしたちに与えてくれます。救い主の贖いの愛は,完全についてのわたしたちの概念を変えます。
引用:
ゲレット・W・ゴング長老
「キリストにあって完全になる」『リアホナ』2014年7月号,42
イエス・キリストが「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と教えられたのは、「わたしの愛と贖いと恵みの力によりあなたを完全な者とするので、わたしに従ってきなさい」と招いておられるからだと感じます。
自分の中にある完全主義を認めつつ、それよりも救い主の贖いの愛に自分をゆだねるように日々努めています。
それにより、イエス・キリストだけが与えてくださる幸福や平安を感じられることに感謝します。
そして永遠の時の中で、主に似た者、完全な者としていただけるのを待ち望んでいます。
イエス・キリストが完全な神であり、私たちの不完全さを愛し、私たちが完全になれるようあらゆることを行い、助け、強めてくださっていることに感謝します。
モルモン書を読んでみたいと思われた方は、下記のリンクをクリックすると、無料の「モルモン書」アプリをダウンロードできます。