イエスが「最も小さい者」に仕えてこの世の生涯を過ごされたのなら,今日もそのような人を愛しておられると思いませんか。主の教会には,すべての神の子供たちのために居場所があるではありませんか。ふさわしくないとか,忘れられているとか,独りぼっちだと感じている人々のためにもです。
神の恵みを受けるために,達成しなければならない完璧さの基準はありません。大きな声で雄弁に正しい文法で祈らなければ,祈りが天に届かないということなどありません。
実際,神は人をかたよりみない御方です。この世の価値観は神にとって何の意味もありません。御父はあなたの心を御存じで,肩書きや財務上の純資産,インスタグラムのフォロワー数に関係なく,あなたを愛しておられるのです。
わたしたちが心を天の御父に向けて御父に近づけば,御父がわたしたちに近づいてくださるのを感じることができるでしょう。
わたしたちは皆,御父の愛する子供です。
神を拒む人たちもそうです。
頑固で手に負えない子供のように,神と神の教会に腹を立て,絶対戻って来るものかと荷物をまとめて勢いよく飛び出して行った人たちも,そうです。
家出する子供は,心配して窓から見ている親に気づかないかもしれません。親は,大切な子供がこの悲痛な経験から何かを学び,新らたな観点から人生を見直し,やがて家に戻って来ることを願って,出て行く息子や娘を優しく見守っています。
愛に満ちた天の御父も同じです。わたしたちが戻って来るのを待っておられるのです。
皆さんの救い主は,目に愛と思いやりの涙をため,皆さんが戻って来るのを待っておられます。あなたが神から遠くにいると感じているときも,神はあなたを見ておられます。あなたを哀れみ,走り寄ってあなたを抱き締められることでしょう。
来て一員となってください。
出典元:
ディーター・F・ウークトドルフ長老 十二使徒定員会
「来て一員となる」
総大会2020年4月
イエス・キリストは、世界中のすべての人を愛しておられても、私のことだけは愛してくださらないと感じていた時がありました。
信仰が弱いから、罪深いから、うつ病が癒されないから、私が求めている助けが主から与えられないから、主の愛を感じられないから、聖霊を感じられないからとか、いろいろな理由がありました。
それでも、必死で手を延ばしてくださっている主の御手をつかもうともがいているうちに、主の懐に抱かれている自分に気づくことができました。
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