モルモン書の中の預言者ニーファイは、次のように記しています。
わたしたちはキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを説教し,キリストのことを預言し,また,どこに罪の赦しを求めればよいかを,わたしたちの子孫に知らせるために,自分たちの預言したことを書き記すのである。引用:
デビッド・A・ベドナー長老(十二使徒定員会)は、家庭の中で福音を学ぶときの一貫した努力について話しています。
息子たちが小さかったころ,我が家でも皆さんが行ってきたこと,そして現在行っていることをしていました。家族の祈りや聖文学習,家庭の夕べを行ったのです。さて,これから話すことは,皆さんの家庭では絶対に起こらないと確信していますが,我が家では起こりました。妻とわたしは,これらの霊的に不可欠な事柄を行いながらも,はたして意味があるのだろうかと思うことがありました。聖文を読んでも,突然息子たちが「ねえ,お兄ちゃんが触ってくる」「じろじろ見ないように言ってよ」「ママ,弟がぼくの空気を吸ってる」などと叫びます。心からの祈りが,くすくす笑いやつつき合いで中断することもありました。活発で始末に負えない息子たちと一緒では,家庭の夕べのレッスンから高度な教化が得られるわけではありません。義にかなった習慣を築こうと必死になって取り組んでも,期待している霊的な実がなかなか刈り取れないように思い,妻もわたしも,腹を立ててしまうことがありました。家族の祈り,聖文学習,家庭の夕べについて何を覚えているか聞いたら,成人した息子たちからどのような答えが返ってくるか予想できます。息子たちは,あのときの祈りが,あのときの聖文学習が,あるいは特に意義深かったあの家庭の夕べのレッスンが,その後の自分の霊的成長を変えたとは答えないでしょう。しかし息子たちは,家族がいつも一貫していたことは覚えていると答えるでしょう。妻とわたしは,特定のレッスンの内容や聖句を理解させなければいけないと考えていました。しかし,そのような目標は,一緒に勉強し,祈り,学ぶ度に達成できるわけではありません。目標と努力が一貫していることこそ,恐らく最高のレッスンだったのです。そのことを当時のわたしたちは十分理解していませんでした。引用:
ベドナー長老が話している通り、私も「はたして意味があるのだろうか」と思ったことが何度もあります。
それでも、主を信頼しながら一貫した努力を続けると、生活の中でイエス・キリストを第一にしていることを主に示したいという望みが少しずつ強められました。
今になって振り返ると、そのような努力や望みを、主が細かいところまで見てくださっていたことに気づきます。
今になって振り返ると、そのような努力や望みを、主が細かいところまで見てくださっていたことに気づきます。
日々の生活の中に主の御手があり、主の愛と、家族で天父のみもとへ帰るための道が示されていました。
ラッセル・M・ネルソン大管長は、主から召された預言者として、次の祝福を約束しました。
愛する兄弟姉妹の皆さん,毎日祈りの気持ちでモルモン書を研究するならば,皆さんは毎日,さらによい決断を下すようになるでしょう。研究したことについて深く考えるならば,天の窓が開いて,自分自身の疑問の答えを授かり,自分自身の生活の中で導きを受けるようになります。毎日モルモン書をよく学び,味わうならば,疫病のようなポルノグラフィーのわなや,感覚をまひさせるその他の依存症など,今日の悪から守られることを約束します。引用:
ネルソン大管長の「毎日モルモン書をよく学び,味わう」という言葉が好きです。
イエス・キリストは、私たち一人ひとりをさらに愛したい、教えたい、招きたいと強く望まれています。
熱心に祈り、聖文をよく学んで味わい、その教えに従うよう努力を続けるならば、イエス・キリストを愛し、生活の中心としていることを感謝の気持ちで主にお伝えできるようになります。
それにより、主は喜ばれ、御霊を通して主の愛と声を授けてくださると証します。
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