私が末日聖徒イエス・キリスト教会のバプテスマを受けたあと、それまでの人生でほとんど実践していなかった教えを学びました。
それは、人に仕え、奉仕するということです。
それを、少しずつ実践することによって、喜びを感じられるようになりました。
ヨハネによる福音書13章1節には、主が「この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。」とあります。
そして、続けて2節から15節で、主は弟子たちの足を洗いました。
末日聖徒イエス・キリスト教会の、青少年向けの新約聖書のテキストには次のように書かれています。
新約聖書の時代,人々は通常,サンダルを履き,ほとんどが未舗装であった道路を歩いていたため,足が非常に汚れていました。このことを知っておくと役に立つかもしれません。ほかの人の足を洗うことは,通常,最も地位の低い使用人によって行われていたようです。新約聖書 セミナリー教師用手引き(2023)ヨハネ13章「互に愛し合いなさい」
ヨハネによる福音書13章12節から15節で、主は、次のように教えました。
12 こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。13 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。14 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。引用:
イエス・キリストは、私たちが互いに仕え合うよう、手本を示されました。
ヘンリー B・アイリング管長は、愛を込めた奉仕を通して、主が相手を祝福してくださった経験について分かち合ってます。
介護施設での聖餐会を訪問する割り当てを受けたときのことです。聖餐のパスを頼まれました。聖餐のパスの正確さについて考える代わりに,年配の方々一人一人の表情を見ていました。多くの方が涙を流していました。一人の女性がわたしの袖をつかんで,わたしを見上げ声を出して,「ありがとう,ありがとう」と言いました。主は御自分の御名によって行われた,わたしの奉仕を祝福してくださったのです。その日,わたしは自分の役割をよく果たせるようにではなく,このような奇跡が起こるように,人々がわたしの愛を込めた奉仕を通して,主の愛を感じられるようにと祈りました。これこそが,主の御名によって人々に仕え,祝福をもたらす鍵だと学びました。
引用:
イエス・キリストやアイリング管長のように、相手を愛し、相手が祝福されるよう祈り求めながら仕えるとき、主が相手を祝福してくださることに感謝します。
人とのコミュニケーションに不安や恐れが強いため、奉仕も十分に行えず、頑張って行ったとしても、その後、精神的に苦しむことが多いです。
それでも、主が、働くよう望まれているときには、決して無理をせずに、自分の行えることを行うよう努めています。
主が望むことをすべて行うことは不可能ですが、主は、そのような思いを持って努力する私たちを強め、働く力を強めてくださると信じています。
奉仕を行うことも、受けることも大きな祝福です。
今まで、たくさんの奉仕を受け、そのことに感謝してきました。
イエス・キリストは、私たちが互いに仕え合うことによって、それぞれを祝福したいと望まれていることを証します。
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