私の人生を振り返ると、福音を知った時からではなく、そのずっと前から今まで、そしてこの後も、主は私を愛し、見守り続けてくださっていることに気づきます。
リン・G・ロビンズ長老(七十人会長会)は、「主の恵みと主の愛あるまなざしは,人生の旅の最後までずっとわたしたちに注がれて」いると教えました。
わたしたちは失敗や挫折の後にやり直す機会があることに感謝していますが,やり直す機会を与えて罪や失敗,挫折を乗り越えられるようにしてくれる救い主の恵みには,ただ驚くばかりです。救い主ほどわたしたちの側に立ってくださる御方は,ほかにおられません。テストを何回でも受けさせてくださいます。救い主のようになるためには,生まれながらの人との日々の闘いの中で,やり直す機会が数え切れないほど必要になります。こうした闘いは,欲求をコントロールし,忍耐と赦しを学び,怠惰を克服し,不作為の罪に陥らないようにするなど,少し挙げるだけでもたくさんあるのです。間違いを犯すのが人の本性だとするなら,人間の本性が神の本質に取って代わるまで,わたしたちは何度過ちを繰り返せばよいのでしょうか。1,000回ですか。100万回くらいかかるかもしれません。細くて狭い道には誘惑が多く,わたしたちが日々失敗するだろうことを御存じだったために,救い主は無限の代価を払って,わたしたちがこの試しの世を無事生き抜くために,必要なだけ何度でもチャンスを与えられるようにしてくださいました。主がお許しになる逆境があまりにつらく,耐え難いと思えることがあるかもしれませんが,主が希望なしにわたしたちをほうっておかれることはありません。人生で試練に遭っても望みを持ち続けられるよう,救い主の恵みはいつも用意されており,常に目の前にあります。主の恵みとは「神聖な助けまたは力です。……また,人に能力を授ける力であり,これによって男性も女性も,最善を尽くした後に永遠の命と昇栄を得ることができるのです。」主の恵みと主の愛あるまなざしは,人生の旅の最後までずっとわたしたちに注がれており,わたしたちが細くて狭い道の途中でつまずいたとしても,主は励まし,重荷を軽くし,強め,解放し,守り,癒し,そのほかの方法で「御自分の民を……救〔ってくださいます。〕」。引用:
主を信じ、愛して従おうと努力しても、罪や失敗、挫折を繰り返します。
そのため、イエス・キリストは無限の代価を払い、私たちがこの試しの世を無事生き抜くため、必要なだけ何度でもチャンスややり直す機会を与え、罪や失敗、挫折を乗り越えられるようにしてくださっています。
主の恵みと主の愛あるまなざしは、人生の旅の最後までずっとわたしたちに注がれています。
イエス・キリストは、私たちが主の贖いと恵みの力を受けて救われるよう、「わたしに従ってきなさい」といつでも手を広げて招いてくださっています。
その愛に、感謝しています。
参照:迷い出た子羊
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