「人の価値が神の目に大いなるものであること」について、中央初等協会会長だったジョイ・D・ジョーンズ姉妹が話しています。
大切だと感じたので、長く引用します。
スペンサー・W・キンボール大管長は……次のようなすばらしい言葉で説明しています。「神はあなたの御父であられます。あなたを愛しておられます。天の父母はあなたを計り知れないほど大切に思っておられます。……あなたは唯一無二であり,永遠の英知から創られた,永遠の命を受けることができる存在です。あなた個人の価値について一切疑ってはいけません。福音の計画の目的は,内なる可能性を最大限に発揮する機会を一人一人に与えることです。すなわち,永遠の進歩と神のようになる可能性を与えることなのです。」[2]ところで,「価値」と「ふさわしさ」という二つの重要な言葉は,区別して考える必要があります。同じではありません。霊的な「価値」とは,世がわたしたちを評価する方法でなく,天の御父と同じ方法で自分の価値を認めることです。わたしたちの価値は,地上に生まれる前に定められていました。「神の愛は無限であり,永遠に持続します。」[3]その一方で,「ふさわしさ」は従順によって得られるものです。罪を犯すとふさわしさが低下しますが,価値が下がるわけではありません。わたしたちは同じ価値を保ちながら,悔い改めてイエスのようになろうと努め続けるのです。ブリガム・ヤング大管長はこう教えました。「今地上にいる最も取るに足りない,価値の低い霊でも……幾つもの世界に匹敵する価値があります。」[4]どんなことがあっても,天の御父はわたしたちを価値ある者として見てくださいます。このすばらしい真理があるにもかかわらず,自分について時折否定的な考えや思いを抱いてしまう人はいないでしょうか。わたしもそうです。陥りやすいわななのです。サタンはあらゆる偽りの父で,特に人の神聖な価値や目的について誤解させることが得意です。自分をさげすむことは良い結果をもたらしません。むしろ,前進する妨げとなります。よく言われるように,「あなたの同意なしに,だれもあなたに劣等感を抱かせることはできない」のです。[5]自分の最低の出来を人の最高と比較するのをやめましょう。「比較することは喜びを盗んでいく」からです。[6]……主は,人の価値と御自身の偉大な贖いの犠牲の関係についてこう説明しておられます。「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。見よ,主なるあなたがたの贖い主は,肉体において死を受けた。それによって,すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように,主はすべての人の苦を引き受けた。」[9]……わたしたちが救い主と,主がわたしたちのためにしてくださったことに対して感じる愛が,自分の弱点や自信喪失,悪い習慣に注ぐエネルギーより大きければ,主は,わたしたちの苦しみの原因となっているものに打ち勝つことができるように助けてくださいます。主はわたしたちをわたしたち自身から救ってくださるのです。引用:◇脚注:[2]スペンサー・W・キンボール「女性の特権と責任」『聖徒の道』1979年2月号,152-153参照[3]D・トッド・クリストファーソン「『わたしの愛のうちにいなさい』」『リアホナ』2016年11月号[4]Brigham Young, “Remarks, ”Deseret News, Mar. 6, 1861, 2.[5]エレノア・ルーズベルトの言葉[6]セオドア・ルーズベルトの言葉[9]教義と聖約18:10-11
神がこの地球を創造されたとき、「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。……」「旧約聖書(口語訳)創世記1:31」とあります。
同じように、神が創造された私たち人間も、はなはだ良いのだと気づきました。
神は完全な御方なので、失敗した人間を作ることはあり得ません。
精神的、肉体的、環境など、この地上では一人ひとり違いがあります。
それでも、私たちの誰もが、神のようになることができる貴い価値を持つ神の子です。
私は、しばしばサタンの力が猛威を振るうこの世の観点で、自分や人を見て優劣を決め、劣等感を感じたり、高慢になったりします。
人としての不完全な観点を持って物事や人を見るため、足元の土台はぐらつきます。
神の目から見た「ふさわしさ」が下がり、私は「自分には価値がない」と誤解します。
それは、主から私を離れさせようとする強力な誘惑です。
しかし、天父が持っておられる永遠の観点で自分や人を見ようと努めるとき、イエス・キリストの堅固な岩の上で、私たち一人ひとりに注がれている主の愛を感じます。
誰もが、計り知れないほどの貴い価値を持つ神の子だと理解します。
それにより、主と自分と隣人を愛する力が増します。
私たちの「価値」が下がることは決してありません。
それだけでなく、イエス・キリストを信じて悔い改めるならば、天父のみもとへ帰るための「ふさわしさ」も得られるよう、主は私たちのためにすべてを捧げ苦しんでくださいました。
主の贖罪のおかげで、私たちは天の両親のもとへ帰り、永遠の命を授かることができます。
そのことを証します。
主が「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。」と愛を持って招いてくださっていることに感謝します。
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