初めて天父にイエス・キリストの御名によって祈ったのは、宣教師から祈りの方法を教えていただき、祈ってくださいますかと招かれた時でした。
人前で祈るのも初めてで緊張しましたが、自分なりに心を込めて、世界中の人が幸せでありますようにと短く祈ったのを覚えています。
そして、モルモン書を読んで学び、祈り、聖霊を通してモルモン書がイエス・キリストのもう一つの証だと理解し、末日聖徒イエス・キリスト教会のバプテスマを受けました。
それから、数えきれないほど祈ってきました。
神様は天のお父様で、祈りを聞いてくださっていることに感謝しています。
末日聖徒イエス・キリスト教会の『聖句ガイド』に「祈り」という項目があります。
その中に書かれている事柄について、いくつか紹介します。
引用:
末日聖徒イエス・キリスト教会
『聖句ガイド』
神に感謝し,祝福を願い求める,厳粛な神との交わり。
祈りはイエス・キリストの名によって天の御父にささげる。
祈りは声に出すこともできるし,心の中で唱えることもできる。
神に向けられたものであれば,人が心に思うことも祈りといえる。
義人の歌もまた神への祈りとなる(教義と聖約25:12)。
引用:『聖句ガイド』「祈り」
生活や仕事や何かをしながら声を出さずに心の中で祈りを唱えることや、正しいことを行い、人に親切にするなどイエス・キリストの望まれることを行っているとき、また主を賛美しながら歌うときなども、神への祈りとなることを少しずつ学び、実践するようになりました。
祈りの目的は,神の御心を変えることではなく,神がわたしたちに与えようとすでに備えておられる祝福を,自分のため,また人々のために得ることである。
しかし,それを得るには求めなければならない。
引用:『聖句ガイド』「祈り」
主が私に与えたいと思われていることではなく、自分が望むもの、得たいものだけを祈り求めていました。
しかし、主の愛や真理を知るにつれ、神が私たちや人に与えようとすでに備えておられる祝福を求め、その祝福にたどり着けるよう祈り求めるようになりました。
自分の望みとキリストが望んでおられることが一致するときに,わたしたちは真の意味でキリストの名により祈ることができる(新約聖書 口語訳 ヨハネによる福音書15:7;教義と聖約46:30)。
引用:『聖句ガイド』「祈り」
主を愛する気持ちが強くなるにつれ、主が望むことだけを望み、それを知って行いたいと祈り求めるようになりました。
ジェフリー・R・ホランド長老(十二使徒定員会)は、天父が祈りを聞かれ、必ず答えてくださるということについて話しています。
……祈りへのこたえを得られるように努め,ともにこたえを待つときに,わたしは使徒として約束します。祈りは聞かれ,こたえられます。たとえそれが望んでいる時期や方法ではないとしても,必ずこたえていただけます。永遠に思いやりのある,全知の親がこたえるべきとされた時期に,こたえるべきとされた方法によってこたえられます。愛する兄弟姉妹の皆さん,眠ることもまどろむこともない御父は,神として行われるどのようなことよりも,御自分の子供たちの幸せと最終的な昇栄に関心を持っておられるということを理解してください。御父は純粋な愛をお持ちの栄光ある御方であり,「憐れみ深い御父」というのがその御名です。
引用:
「主を待ち望む」
ジェフリー・R・ホランド長老 十二使徒定員会
自分が望むものを受けられないとき、祈りは天に聞き届けられていないと思うことが度々ありました。
どんなに祈っても、苦しみやつらさからの解放、慰めや平安、助けがもたらされないとき、天のお父様とイエス・キリストは、全人類を愛してくださっていても、私だけは愛されていないと思いました。
求める事柄が間違っているのか、信仰と努力が足りないのか分からず、自分を責め続けました。
なぜ、こんなに長い間、祝福されないのだろうかとも思いました。
それでもへりくだるよう努めながら天のお父様に捧げた小さな祈りの数々は、むだになりませんでした。
お父様は、確かに祈りを聞いてくださり、私がお父様のみもとへ帰り、イエス・キリストに似た者となれるよう、そして愛する家族や人々にも同様にしてくださるよう、今も愛をこめて働き、祝福してくださっていることを聖霊の助けで知りました。
それでも、心の中にサタンの攻撃が吹き荒れ、不安、悲しみ、孤独などつらくて苦しい中、ただひたすら堪え忍ぶことだけが求められているのではないかと思うような日々は、今もあります。
ゲツセマネの園で、イエス・キリストは私たちの罪や弱さを背負い、贖罪を行われました。
その非常な苦しみの中、主は次のように天のお父様に祈られました。
……「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
引用:
私は苦しむたびに、イエス・キリストの贖罪による苦しみを思います。
そして、主の模範にならい、「サタンを遠ざけてください。しかし、御心が行われますように」と真心から祈るようになりました。
天のお父様は祈りを聞いてくださり、御心の時に、御心の方法で慰め、主だけが与えられる平安、喜び、堪え忍ぶ力を与えてくださいます。
この深い慰めと愛は、聖霊を通して与えられます。
祈りは、お父様が私たち神の子供たちに与えられた、霊の親としての深い愛であることに感謝します。
そしてお父様は、すべての子供たちがイエス・キリストの御名によって祈り、心の内のすべてを話し、願い求め、感謝するよう招いてくださっています。
そして、ホランド長老が教えられたように、「祈りは聞かれ,こたえられます。たとえそれが望んでいる時期や方法ではないとしても,必ずこたえていただけます」。
全宇宙の神であられるお父様と、神の子である私たちは、祈りを通して話ができることに感謝します。