試練、困難、逆境、誘惑、病気、障害、自然災害など、誰のせいでそうなったのか分からないことが人生で起きます。
そのようなとき、自分を責めたり、人を責めたり、時には神様を責めたりすることがあるかもしれません。
私は、何度もそのようにしてしまいます。
1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」
引用:
30年以上前にこの聖句を学んだとき、人ごとのように思っていました。
しかし、精神的病気になって長い間苦しむようになった今、この聖句を読むと、主が私に深い愛を持って教えてくださっていると感じられます。
精神的病気になったのは、私が罪人であり、主から罰として与えられていたと思っていたことがあります。
しかしそうではなく、神の御業や御心が現れるためであると知ったとき、自分の弱さや病気や試練や誘惑などに対して、少しずつ前向きに取り組むようになってきました。
いつの日か、主に似た者へとなるために経験を通して学べるよう、天父と主が愛をこめて私の人生の中にそれらを置いてくださっていると分かってきました。
そうして、以前よりも深く主を知り、愛する気持ちが強められています。
何かを責めても楽になれないと分かっていても、そうしてしまうことは今でもあります。
その度に、イエス・キリストが、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」と愛を込めて慰め、励ましてくださっていることを思い起こすよう、招いてくださっていることに感謝します。
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