イエス・キリストは、ヨハネによる福音書8章の姦淫を行った女性の経験を通じて、憐れみと悔い改めについて私たちに教えました。
2 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。3 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、4 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。5 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。6 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。8 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。9 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。10 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕引用:新約聖書(口語訳)ヨハネによる福音書8:2-11
ダリン・H・オークス管長は、次のように教えています。
主は明らかにその女の罪を正当化なさいませんでした。単に彼女を罰しないと言われただけです。これはすなわち,主はそのとき,彼女に最後の審判を下されたのではありません。……姦淫の場で捕らえられた女は,自分に石を投げようとした人々からは与えてもらえなかった時間,すなわち,悔い改める時間を与えられました。引用:
ディーター・F・ウークトドルフ管長は、次のように教えています。
非難と不親切の世界では,石を集めて投げることは容易です。しかし,そうする前に,わたしたちの主であり模範である御方の言葉を思い出しましょう。「あなたがたの中で罪のない者が,まず……石を投げつけるがよい。」(新約聖書 口語訳 ヨハネによる福音書8:7)兄弟姉妹,石を置きましょう。親切になりましょう。赦しましょう。穏やかに語り合いましょう。神の愛を心に満たしましょう。「だれに対しても……善を行」いましょう。引用:
イエス・キリストは「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と言われました。
その教えに従って自分を振り返り、投げつけるための石を置く人、あるいは置こうと努力しているが大勢います。
一方、サタンが荒れ狂う現実の世とネットの中で怒り、人を不正に裁いて人に石を投げつけている人が大勢います。
そのような人々に対して、ウークトドルフ管長は、石を置き、憐れみ深い人となるよう招いています。
同じように、今年の4月の総大会でラッセル・M・ネルソン大管長は「平和をつくり出す人が必要です」と教えました。
イエス・キリストは、姦淫の場で捕らえられた女性に憐れみを示し、悔い改めるよう招きました。
私も主の模範に倣い、隣人や自分に対して不正に裁くのではなく、憐れみをもって接するようになりたい、と日々天父に祈り求めながら取り組んでいます。
そして、主は、私が悔い改めるたびに罪を赦してくださいます。
そのことに、心から感謝しています。
今も主は生きておられ、エルサレムで教えたときと同じように私たちを招いています。
主の教えに従うならば、主に似た者となって永遠の幸福を授けてくださいます。
それを可能としてくださるイエス・キリストの完全な愛と贖罪、教え、模範が真実であると証します。
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