今年の1月6日の記事に、「新約聖書(口語訳)ヨハネによる福音書 9:1-3」を紹介しました。
そのときに「精神的病気になったのは、私が罪人であり、主から罰として与えられていたと思っていたことがあります。しかしそうではなく、神の御業や御心が現れるためである」と書きました。
今回は、心身の障がいの子供を持つ「親」について、十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長(1924-2015)が教えた言葉を紹介します。
障がい児を持つ親が「自分たちが何か悪いことをしたのだろうか」と考えるのは珍しいことではありません。とにかく苦しみはすべて罪の直接的な結果であるという考えが大昔からあります。しかしそれは偽りの教えです。古代の使徒たちでさえも,主に正されるまでその教えを信じていました。「イエスが道をとおっておられるとき,生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った,『先生,この人が生れつき盲人なのは,だれが罪を犯したためですか。本人ですか,それともその両親ですか』。イエスは答えられた,『本人が罪を犯したのでもなく,また,その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが,彼の上に現れるためである。』」心身の〔障がい〕に関して,罪悪感を持つ必要はまったくありません。〔障がい〕は不注意,虐待などが原因で起こることもあれば,親の薬物常用が原因で起こることもあります。しかし,そのような例はきわめてまれです。何の過ちもないのに,苦しみを受ける人もいるのです。引用:ボイド・K・パッカー会長(1924-2015)十二使徒定員会「水を動かす」総大会1991年4月『聖徒の道』1991年7月号,7参照
知り合いから「精神的に苦しんでいる子供を精神科の医師に診せたとき、医師から『親のせいだ』と言われてつらかった」というような話を聞いたことがあります。
「(障がいは)本人が罪を犯したのでもなく,また,その両親が犯したのでもない」と主は教えました。
また、パッカー会長も、きわめてまれなケースを除いて、「心身の〔障がい〕に関して,(親が)罪悪感を持つ必要はまったくありません」と教えています。
心身の障がいを持つ子供や伴侶や家族がいて、それを助けようとする親、伴侶、家族がいます。
障がいを持つ人がつらくなって苦しむのを、ただ黙って寄り添い、共に耐えるしかないときがあると思います。
もしかしたら、障がいを持つ人に拒絶され、寄り添うこともできないことがあるかもしれません。
時には、だめだと分かっていても障がいを持つ人を不当に責め、そんな自分を許せずに自分を責めてしまうことがあるかもしれません。
精一杯、主を信じて生きてきたのに、「なぜ」こんなことが……。
信仰を持って、できることをすべて行っているのに、「なぜ」癒されないのか。
「なぜ」問題が解決しないのか……。
そのように、何度も、何度も、時には、涙を流しながら天父に嘆願しているかもしれません。
その答えとして、主は「神のみわざが,彼の上に現れるため」と教えています。
39 見よ,人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。引用:
主が話された「神のみわざ」とは、「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと」、そして家族が「永遠の家族」となることです。
主は、障がいを持つ人とその家族に、愛を持って御業を行われています。
助けようとする親、伴侶、家族が、自分自身を不当に責めないようにと主は憐れみを持って招かれています。
「本人が罪を犯したのでもなく,また,その両親が犯したのでもない」。
主だけがもたらすことのできる平安、希望、慰めがもたらされますように。
主は、救い主だと証します。
その愛と御心に感謝しています。
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